


光画と写真 それから 自己満足について
「新興写真」とはドイツの「新即物主義(ノイエザッハリヒカイト)Neue Sachlichkeit」やシュルレアリスム(Surréalisme(仏))などの影響をうけ、
それまでのピクトリアリ…


人は、「違い」に目がいく。 「いつもと同じ」は目に入らない
今、私はブログでも自分を表現しようとしていますが、知り合った人からも、様々なことを学ぶことが多くあります。でも、日々は矢のように流れていってしまい、人は忘却の彼方に置いてきぼりにすることもある。だから、自分なりに、時々、こうしてハッと気づいたことを書き留めて置こうと思います。私が生まれる前にも、ずっと繰り返された生の営みで積み重ねられた知恵は、今なお、残り続けていること。そこに普遍性があると感じています。
私は、世界のひとかけら であること
[…

目に見えるもの、見えないもの2
私たちは経験したことのないものを理解することが出来ない。だから知覚できて目に見えるものだけにフォーカスしがちである。
しかし目に見えるものは必ず目に見えない無限のものと関係している。
私たちは窓から空を見ることは出来る。しかしそれは空の大きさが窓の内側におさまっているということではない。
もし私たちが生まれてから一度も家の外に出たことがなく、常に窓からしか空を見たことがないならば、空が何かを理解することは出来ないだろう。
もし誰かが空は無限に広がっていると私たちに言うならば、私たちは彼の頭がおかしいと思うだろう。
どうして小さな窓から無限なるものが見えるのか?
-窓から見えるものはどれも、せいぜいその窓自体の大きさと同じでしかないはずだ。
それは完璧に論理的に見えるが、私たちはそれが間違っていると知っている。
なぜなら外に出て空を直接見た経験があるからだ。
私たちは自分の個人的体験を誰かに証明することは出来ない。その人が自分で経験するまでは理解できないのだ。
私たちは無限なるものを直接見ることは出来ない。
形なきものへ至るためには、最初は形あるものが必要だ。
しかし勘違いしてはならないのは、それが見えないからといって、存在しないというわけではないことだ。
(ハナムラ チカヒロ) 上の言葉を発信されているハナムラさんの著書が発売されました。
ぜひご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=DiwGoyBMGt0
とても印象的なインスタレーション
開催に関する記事はこちら。
ハナムラチカヒロによるランドスケープ・インスタレーション。
(会場:大阪市立大学医学部附属病院)
2012年度日本空間デザイン賞…

みえないもの、みえるもの そして知恵
都市部で、快適な、余計な気を使わない、整った人工物に囲まれた暮らしをしていると、いつの間にか、目に見えるものばかり重視して、見えないもののことは、いつしか忘れられがちとなってしまっている気がします。
見えないものとは、生き物として感じる気配だったり、時間の大きな流れだったり、うまく言葉にできないけど確かに感じた繊細な感覚だったり。
知らない間に溜まっていたストレスかも知れません。
精神的なものも、例えば「うつ病」みたいな病的なもの、スピリチュアルみたいな、どこか他人任せのフワフワしたもの、雲をつかむような感じが多いように感じます 私が感じている見えないものは、このサイトの名前、Fox…

