カルベリア、フラメンコ、空海

ジプシーは、日本にはいなかった人たち。流浪の民。そして、幾世紀もさまざまな土地を渡り歩いた人たち。

蔑視の対象でもあり、音楽や芸能に長けた人もいる。成功した人もいる。生活が苦しく、盗みを働く人もいる。

それでも、音楽にはいろいろな影響を与えるほどに、インスピレーションの源でもありました。

 

 

ロマ(ジプシー)音楽

曲の特徴として、情熱的、心拍数があがっていくような、体を揺らしたくなるような独特のリズムが感じられます。

さらに独特の空気感を、楽器の音の使い方、ボーカルを使って音楽を演奏します。

カルベリアダンス

優れた音楽センスを持った流浪の民、ロマは、住み着いた土地の音楽と融合し、さらにその土地独自のものへ発展させていきました。映画「ジプシーキャラバン」は、全くお互いを知らないスペイン、ルーマニア、マケドニア、インド各地のロマ音楽。ダンサーが集められ、アメリカ各地を演奏して回った時のドキュメンタリー映画です。

 

その映画の出演者たちの一人と、2008年に公演やダンスレッスンとショーの招聘で、偶然出会うことになりました。
その後、何度か来日のたびに観にいき、パフォーマンス撮影もしました。クイーン・ハリシュ(Queen Harish) という、女装して踊る男性ダンサーです。

一番衝撃を受けたのは、駒のように膝立てでスピンするダンス!

 

当時はベリーダンスを習っていました。世界最古の歴史をもつ、それでいて、起源に関する文字情報はそれほど残っておらず、かなり推測の部分も多かったりします。

その中で有力な説として上がっていたのが、ハリシュの出身であるインド北部のラジャスタンという地域の民族舞踊でした。

2011年、偶然にも、友人の経営するカフェでのイベントで。ラジャスタンの民族舞踊、カルベリアダンスを踊るNalikaさんと出会い、また、現地のミュージシャン、マンガニヤールと交流のあるみきさん(uskabard)、同じくカルベリアダンサーのMadhuさん、と次々に繋がっていきました。

 

フラメンコ

そんなラジャスタン地方から、移動生活をして色々な場所へ住む場所を変えていったロマですが、さらにそのひとつに、フラメンコがあります。

大好きな映画監督 ヴィットリオ・ストラーロ! 光の使い方が素晴らしいです。

フラメンコは、元来、アンダルシア地方で発展したダンスです。スペインの一番南に位置し、古くから様々な地域との交易が盛んだったので、インド、ユダヤ、アラブ、ギリシャなどの国際色豊かな音楽文化を持っていました。
15世紀の中頃、スペインの南部アンダルシア地方に移住してきたロマ(ジプシー)が、自分達の音楽とアンダルシアに伝わる音楽を融合させて作ったのが、フラメンコの起源と伝えられています。そして、そのロマの人々がインドから旅してきた人たちであると。。。

ロマの文化の中でも特にフラメンコは、観る側も、踊り手や歌い手、ギターの音色に圧倒されるパワーがあります。

そのため、多くの愛好者のいる踊りになっています。スペインのロマは別名ヒターノと呼ばれますが、当時は迫害を受けることも多く、苦しい生活を歌ったものも多いです。

強いアクセントと起伏に富んだメロディー、こぶしのきいたうなるような歌(カンテ)、それにギター(トケ)、踊り(バイレ)が合わさって作り出される芸術です。コンパスという独特のリズムを使います。特徴として、自由でありながら「型」がきちんと決まっているのも、長く受け継がれやすい部分なのだろうな、と思います。

私が縁あって何度か観たりお会いしているフラメンコダンサー、辻川 輝さんも、パワフルな踊り(バイレ)で観客をひきこんでいく様子に圧倒されたのをよく覚えています。

空海

そして、インドから伝わった文化の一つに、「密教」があります。密教を本格的に日本に伝えたのは、弘法大師空海。

四国(讃岐)の生まれであり、しかも東夷(アイヌ)出身でもあるらしいです。理由は、父佐伯氏が五〜六世紀ごろ大和朝廷の捕虜となった蝦夷えみし(アイヌ)の末裔であることからみて、ほぼ間違いないだろうとみられているとのこと。その出自も、空海自身、ロマのようではないにしても、ちょっと異邦人な感覚を持っていたかもしれません。

彼は遣唐使として艱難辛苦の末に長安に入り、驚いたことに、二年足らずの滞在でインド僧般若三蔵と牟尼室利むにしり三蔵にサンスクリット語(梵語)及びインド諸思想を学び、師の恵果より阿闍梨の伝法灌頂を受け、たった二ヶ月で、密教の正統なる継承者となったのです。のちにこの密教はインドの中期密教であるとされています。

踊りではありませんが、なんともインドは多様な思想、文化を生み出している、ということに、ただ驚くばかりです。

 

スーフィー

最後は、回転の持つ力。—-どのダンスも、回転が特徴的であったと思います。

インドのスーフィー思想の話です。

基本の考えは、「宗教の違いに関わらず神への愛に依り魂は救われる」というもので、非常に寛容なものです。

イスラーム教の拡張とともに8世紀の中頃にはじまり、9~10世紀に流行した、踊りや神への賛美を唱えることで神との一体感を求める信仰形態および思想を神秘主義またはスーフィズムといいます。

スーフィズムは、修行者が贖罪と懺悔の徴として羊毛の粗衣(スーフ)を身にまとって禁欲と苦行の中に生きていたスーフィーから来た言葉であると考えられているそうです

(他にも「(信仰の)清浄さ」(サファー ṣafā’ )に由来するというものや、預言者ムハンマドの傍近くに陪席した高弟という意味で「ベンチ(ソファー)の人々」(アフル・アル=スッファ اهل الصفة‎ ahl al-ṣaffa)などのアラビア語による語源説、ギリシア語で「智恵、叡智」を意味するソフォスに由来するなども異説もある。)

インド亜大陸は、元来ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教などの聖像崇拝が盛んな多神教の地であり、これと反対に一神教であり聖像崇拝を忌み嫌う傾向のあるイスラームがインドに侵入した際には激しい摩擦が引き起こされました。

このためイスラーム側とヒンドゥー教を中心とする在来宗教の側の双方でこの問題を解決するための試行錯誤が行われることになり、『異なった信仰体系を持つ者同士の理解と共存』がイスラーム侵入以降のインド哲学の大きなテーマとなったようです。

より感覚的で分かりやすいその教えは都市の職人層や農民にも受け容れられていきました。

ただ、これは宗派でなく、信仰の“実践形態”の一つです。

(ただし、スーフィーの起源をイスラーム以前とする説もあり、その発祥または発展の過程での、ユダヤ教・キリスト教・ゾロアスター教、中央アジアでは仏教からの影響を指摘する説もある)

スーフィーは13~15世紀にかけて特に発展し、中東全域のほか、北アフリカ、インド、中央アジア、イスラム支配下のスペインなど、イスラーム世界の各地に諸派が生まれました。

 

トルコのコンヤなどで行われるセマーと呼ばれる旋回舞踊は特に有名です。

ジャラール・ウッディーン・ルーミーという神秘主義詩人の思想の一つに、旋回舞踏によって「神の中への消滅」という死に似た状態に陥る神秘体験の実行が挙げられます。ルーミーの没後、コンヤのルーミー廟を拠点とする彼の弟子たちによって、コマのように回って踊るサマーウ(セマ)という儀式で有名なメヴレヴィー教団が形成されました。

ルーミーの魂は肉体を離れて神の元に召され、合一が果たされたと考える人々は彼の命日を「結婚の夜」Şeb-i Arus(シェビ・アルズ)と呼び、12月17日のコンヤではルーミーと神の再会を祝って盛大な旋回舞踏が催されます。

下の動画がその様子です。

 

踊りはもともと、神に捧げるものであったのかな、、、と考えはあちこちに巡っていきます。

私なりの、踊りと音楽の世界観の一端、お楽しみいただければ幸いです。

参考サイト;

世界史の窓

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