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ルーヴル美術館展 肖像芸術 一 人は人をどう表現してきたか
大阪市立美術館にて 2018年9月22日(土)~2019年1月14日(月祝)

ポートレート(肖像画)は、今でこそ、写真という手段で簡単に、希望すれば誰でも、手に入れることができます。

では、その肖像とは、いったいどうやって始まったのか? ふとそんな好奇心が起こり、思い立って観にいくことにしました。

今回の展示は、ルーブル美術館の収蔵地域別にある8部門が関わり、3000年以上も昔の古代エジプトから、16世紀の画家アルチンボルトまで、「肖像」に注目した作品を展示しています。

収蔵地域も、エジプト、ギリシャ、イスラエル、トルコ、マケドニア、イタリア、インド、とアフリカ大陸とユーラシア大陸の広い範囲を網羅しています。

あ、ルーブル美術館内を鬼ごっこしてる映画もありましたが・・・走っちゃいけません(笑)

 

まぁ、こんな感じの広大な美術館からはるばる作品が持って来られたのですね。

絵が多いのかと思っていたら、最初は意外に立体物が多かったです。

 

肖像作品に共通する要素は、何か。

 

2つの要素の間を揺れ動いています。

一つは「理想化」もう一つは、「写実性」。

 

肖像の起源

ミイラを納めた棺に描かれた埋葬者の絵。

紀元前1300年代の棺には、死後の理想の自分が描かれ(「理想化」)、2世紀後半は、本人が生きていた頃の姿を呼び起こせるような(「写実性」)絵が描かれていました。

その後も、どちらかに偏ることを繰り返していたり、その両方だったり、複雑に要素が絡み合っていくのが観てとれました。

人の死が、起源だったのですね。でも、なんかわかります。もう会えないのだから。

遺影のもうちょっと想像力が加わった感じかな。

 

古代の肖像

古代の地中海世界では、祈願成就の返礼や、信仰の証として、自分の姿を表した彫像や、レリーフを神殿や聖域に奉納する習慣があったそうです。

だから石を彫った立体物が多いのね・・・

そして奉納したのを見れば、だれがやったかも分かるしね。

だから遺跡からいっぱい彫り物が出てくるわけね。。

日本だと神社に寄進する感覚に近いのかな。

ローマ帝国では先祖崇拝が行われていたので、家にデスマスク、肖像画、彫刻を飾っていたらしい。その名残は、洋室のインテリアにも確かにあるよねぇ。写真立てをたくさん並べて写真飾ったりするのは、この辺が起源だったりするのかも。

また、「権力の顔」として、王様などの権力者が、権力の顕示のためにも使っていました。力をどれだけ持っているか、広く知らせるための手段としての肖像画ですね。

でも普通の格好してたら知らない人には分からないから、イメージ戦略として、「コード」がそれぞれの時代、地域、社会の文脈に応じて作られて行った・・・今でも「ドレスコード」などの言葉でちょっと残ってます。

フォーマルな場でどういう装いがふさわしいか、なんていう決まりごとで、王様といえば、こうでしょ、みたいな。

 

マッドサイエンティストなら、どーしてもアインシュタインの髪型を真似た感じにすればそれっぽくなったり。(Back to the futureのエメット・ブラウン博士(ドク)とか、手塚治虫のお茶の水博士もそれを踏襲しています)

 

 

で、ローマ時代だと、トーガという衣服を着て、月桂樹の冠、巻物を片手に持って民衆に演説してまわる、または会議場で語りかける。

アウグストゥス皇帝の像がそんな感じで、後継者もみんなそういう格好をすることで、ローマ皇帝の流れを組む正統性を表していました。

そして、ナポレオン1世もそのアイテム(月桂樹の冠)を取り入れることで権威を感じさせるイメージ戦略をとっていました。

そして、メダル、硬貨に彫る(たいてい横顔)ことで、自分の姿を広めたのですね。

フランス王政の場合は、それにプラス、テンの毛皮のマントと百合の紋章が加わるようですが。

さらには、インドのムガール帝国時代の細密画本にも、王の描き方に、メダルに横向きの顔をほったローマ帝国のコードの影響がみられました。

 

中世以降の肖像画

こんな感じで、肖像は、王様や聖職者くらいしか描かれることがなかったため、一般の人は憧れとステイタスの証でもありました。

しかし、ルネッサンス時代になると、より手が届く範囲にまで変化して、顔も横向きから斜めからの角度に変わっていきました。

古代は、モデルとなった人の社会的地位や役割を表し、その存在の永続性を記念する機能を担ったのに対し、ルネッサンス以降、次第にモデルの人柄や個性、一瞬の生の輝きを伝える役割へと変化していきました。

 

フランス王政時代は、特定の個人を神話や物語の登場人物に扮して描く「見立て肖像画」が流行っていたようです。

16世紀のアルチンボルトにいたっては、野菜がそれぞれの人の顔のパーツを構成していて、「多義性」という、ひとつのパーツに複数の意味を持たせるなど、表す要素に創造性がかなり入り込んでいく感じです。

現代は、自分の精神的葛藤の痕跡として肖像を残したり、理想化というより、生々しい表現という言葉に近いものがあるように思います。

一方で写実性としては、写真という手段が、かなりの部分を担うようになっています。

現代で、一番肖像画を意識する職業の一つは、俳優・女優さんでしょうか。

カメラは自分の一瞬の、出るか出ないか分からないほどの微妙な表現すらみていてくれる、という面があるので、カメラマンとの関係性は常に意識しているようです。

マイケル・ケイン氏が、「映画の演技」(劇書房)という映画の演技について書いた著作で、次の言葉を遺しています。

「カメラは最も誠実な恋人なのだ。しかしあなたはというと俳優人生のほとんどの間、気が散っていて、よそ見ばかりしていてその愛情に気がつかない」

「現実の生活の中で生きている人々は自分の感情をむしろ他人に見せまいと努力することを、現代の映画俳優は知っている」

「舞台の演技がメスでの手術だとすれば、映画の演技はレーザー光線の手術のようなものだ」

「俳優がクローズアップでカメラに収まっている時、目の焦点を一方の目からもう一方の目に移してはならない」

 

マイケル・ケインはオスカー賞を二度とった世界トップレベルの俳優さん。

ご自身の肖像に関しても、写真を自分にもっとも忠実に反映してくれるものとして捉えています。

肖像の流れは、人に思い出を残すこと、イメージを拡散して他の人の記憶に残ることの他に、自分自身へのフィードバックだったり、客観視のツールとして、量産されていく面も出てきているんですね。

インスタグラムなどのSNSが登場し、拡散の速度も非常に早く、消費されていく感覚も感じています。

そして、複製が非常に簡単で、肖像権、プライバシー権の問題が出たり、イメージに翻弄される部分が出てくるなど、要素が複雑になってきています。

自由な分、TPOが問われるようになったような。

ネット上では複製が容易な分、まるで生き物のように、あり方が変わっていくのだろうな・・・

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