ユーサフ・カーシュ(Yousuf Karsh 1908-2002)

「KARSHに撮られることが世界のセレブリティであることの証である」とまで言われた、トルコ出身のアルメニア系カナダ人写真家。

1932年カナダのオタワにスタジオを構える。政府関係者の肖像写真を撮ったことから、フォト・ジャーナリズムの世界に入る。

1941年に撮影したウィンストン・チャーチルの肖像が雑誌『ライフ』の表紙を飾り、カーシュの名を一躍世界に知らしめることになった。アルバート・アインシュタイン、アーネスト・ヘミングウェイ、オードリー・ヘプバーンなど各界の著名人を多く撮影しました。

 

カーシュの撮った写真

有名なエピソード

カーシュはその日の被写体をカメラの前に立たせたまましばらく待っていた。
彼とはイギリスの宰相ウィンストン・チャーチル。
なぜ、カーシュがチャーチルの肖像写真を撮る時にシャッターを押さずに待っていたのか。
それはチャーチルが葉巻を口にくわえたままだったからだ。

カーシュが撮影をしたかったイメージはチャーチルが葉巻を口にくわえている時のものではなかった。
カーシュは葉巻をくわえることによって、チャーチルの威厳さを出すのではなく、チャーチルに葉巻というアクセサリーを使わせずに威厳のあるイメージを撮りたかったのだ。

そこで、カーシュはチャーチルに近づき、口にくわえている葉巻をもぎ取るという信じられない行動をとった。
いつも写真を撮影するときには葉巻をトレードマークに使っていたチャーチルは自分の葉巻を誰かも知らないカメラマンに突然もぎ取られたことに怒り狂い、激しい形相でカーシュを睨み付けた!その時にカーシュはイメージ通りの表情を引き出せたことに満足しシャッターを切った。

ウィンストン・チャーチル
Yousuf Karsh 撮影

この写真はチャーチルの威厳ある姿を表しているとして一躍有名になり、それと共にカーシュの名も知られることとなりました。


実は、この日の撮影は他のカメラマンが行く予定だった。それが急遽行けなくなり、ほとんど名の知られていないカーシュに声がかかったのだ。つまりピンチヒッターの撮影だった。
しかし、このチャンスを活かし一躍有名になったのでした。

撮影のとき、現場にいること。いつでも全力投球で。

狙った表情をうまく引き出す、いいエピソードですね。

カーシュの生涯

オスマン帝国のマルディンで生まれたカーシュは、アルメニア人虐殺を避けて14歳の時にシリアに移る。その二年後、写真家であった叔父を頼り、カナダのケベック州シェルブルックに移住。短期間学校に通った後、叔父のスタジオを手伝うようになる。彼の才能を見込んだ叔父は、1928年にカーシュをボストンの写真家ジョン・ギャロの元に弟子入りさせる。

4年後にカナダに戻り、オタワにスタジオを構える。当時のカナダの首相ウィリアム・ライアン・マッキンジー・キングを初め、多くの政府関係者・著名人のポートレイト写真を手がけるようになる。1941年には『ライフ』の表紙を飾ったウィンストン・チャーチルのポートレイトを撮っている。

15冊の写真集を出版。1967年にはカナダ勲章を授与されている。

2002年、手術後に発症した合併症により、ボストンの病院にて93歳で死去。オタワのノートルダム墓地に埋葬されている。

(Wikipediaより)

本人へのインタビュー

トルコ出身のフォトグラファーって多いのかも・・・

他には、イスタンブールの写真で有名なアラ・ギュレル(Ara Güler)氏は、アンリ・カルティエ・ブレッソンと良き友人であったそうです。

「彼自身「人に対する愛情をなくしてしまったら、なにも重要なことはなくなってしまう。もっとも重要なことは、人間愛である。すべてがこれにつながっている。人間愛が深まれば、写真も上達していくだろう。
なぜなら写真に関するすべてが人間のためだからだだ。
愛情のない人間では写真をとれないし、人間がいなければそもそも写真にはならない。」と言っているそう。

私の中では、ポートレートのお手本ともいうべき、写真家だなぁ、と思っています。

ぜひ、じっくり見て研究してみましょう。

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