「新興写真」とはドイツの「新即物主義(ノイエザッハリヒカイトNeue Sachlichkeit」やシュルレアリスムSurréalisme(仏))などの影響をうけ、
それまでのピクトリアリズム(絵画主義写真、Pictorealism)とは異なり、カメラやレンズによる機械性を生かし、
写真でしかできないような表現をめざした動向です。
『光画』とは1932年から1933年までわずか2年足らずしか発行されなかった写真同人雑誌です。
主宰者である野島康三、同人であった木村伊兵衛、中山岩太を中心に関西(浪華写真倶楽部、芦屋カメラクラブなど)のアマチュア写真家をも巻き込み、新興写真を牽引しました。
評論家の伊奈信男が創刊号に掲載した「写真に帰れ」は、日本近代写真史を代表する論文として知られています。
また1930年には雑誌『フォトタイムス』の編集主幹であった木村専一を中心に「新興写真研究会」が結成され、堀野正雄、渡辺義雄などが参加しています。わずか3号ですがこの研究会の雑誌も発行されました。
今回はこの二つの雑誌に掲載された写真を中心に、新興写真に影響を与えた海外写真家の作品とその後の写真表現を展観いたします。
日本では戦後の主流となったリアリズム写真表現と相反する部分も多かったために、注目される機会が限られていました。しかしさまざまな実験や工夫があり、その後の広告表現やリアリズム写真にも影響を与えています。

——写真美術館「光画と新興写真」より

様々な表現が試みられたようです。
写真展をみて、ふと思ったのは、
自己満足に陥らないで自己表現するって、どういうことなんだろう、と。

自分だけで完結するのは自己満足。
となると、表現したものを伝えて、わかってもらうこと。コミュニケーションだったり、気づきがあったり、何か感情が動かされたり、自分には思いもよらない言葉をもらったり。
そこからまた考えが深まる循環があり、人が見たいと思っていたりするもの。
これが自己満足でない、循環が起こっている自己表現、かなぁ。
ということは、表現したら、フィードバックが必要なんだな。きっと。

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懐古的な写真って、こんな感じかな

ロマン写真館

(撮影開催は終了)

面白味は、一つの表現方法が存在価値を持っていることで、バラエティや写真の面白さの幅が広がったりするのですね。