羽生選手 プロ転向の決意を固める
2022年7月19日、東京都港区のホテルで、羽生選手がプロ転向の決意表明を行いました。会見は1社カメラマン1名、事務所が許可したメディアだけが会見場に入れたそうです。また、会場外には、それ以外のメディアも待機。すごい数だっったのでしょうね。
羽生さんは、2021年の北京オリンピックで、着地が崩れたものの、競技で初めて4回転アクセルを飛んだ、と公式に認定された最初の選手となります。
今なお、4回転アクセルを目標に常に練習を毎日積み重ねて来られています。
2022年6月、3年ぶりに開催されたファンタジーオンアイスでは、私は神戸会場の最終日に、現地で見ることができました。
さらに表現に磨きがかかっていることを改めて実感できました。
私は、常に情熱をもって表現を追求する人を応援する、ということをテーマにいろいろなことを見聞きするようにしています。たとえ私自身が携われなくても、いいなと思う人は応援したていきたいです。
羽生選手は裏方スタッフやファン、メディアに対して、思わずファンになってしまうようなエピソードに事欠かない人間性を持っていることも、応援したいポイントです。
さらに、人知れず、スケート関係の振興のための寄付を行っていることも。
そして、私自身は、アマチュア競技のフィギュアスケートを撮影する前に、前もってスケート教室に通い、体で動きを理解しようと努めました。
無事、超初心者ではなくなりましたが、コロナで一般向けの再開が遅れ、まだ復帰していません・・・。
まだ会見中にもかかわらず、海外のメディア(中国、イギリス、ロシア、アメリカの公式サイト、ツイッター上で続々と速報し、世界のフィギュアファンに伝えられていました。
フィギュアスケートの競技は、毎年少しずつルールが変わり、競技選手は日本スケート連盟所属となるため、何かするとき許可が必要なうえ、スケートで得た収入の一部を“徴収”されるなど、さまざまな制約があるそうです。
そこから離れて、次のステージへ前向きにすすんでいかれるとのことでした。
しかも、戦いの気持ちは、今までと同じように保ち続けて。そのことを、言葉を尽くして話をされていました。
このように、フィギュアスケートの分野で大きな影響を持つ方ですが、常に自分から言葉を発していく姿勢を崩していません。
この会見の後も、中継を繋いだりして、スポンサーをはじめ、夜中まで各メディアで対談などの対応をされていました。
競技のステージでは、大きな転換点でもあると思われます。今度、どのような選手が育ってくるのかな。
下記は松岡修造さんがインタビュアーですが、アスリート同士ということ、長年インタビューし続けていることもあって、表情が柔らかくなっている気がします。
「これまで演技をしていくにあたって、本当に心が空っぽになってしまうようなことがたくさんありましたし、わけもなく涙が流れてきたりとか、ご飯が通らなかったりとか、そういったことも多々ありました。正直、いわれもないことを言われたりとか、なんか、なんかねぇ、そんな叩かなくてもいいじゃん、と思うようなこととか、正直いろんなことがありました。
人間としてもいろんな人が信頼できなくなったり、誰を信用していいのかわからないときももちろんありました。でもそれは、羽生結弦だからではなくて、みなさんがそう思っているんだと思いますし、大なり小なり、皆さんがつらいんだなと思っています。だからこそ、僕自身がこれからも生きていく中で、生活していく中で、心を大切にしてもいいんじゃないかなって。もっと自分の心が空っぽになってしまう前に、自分のことを大切にしてきてくださった方々と同じように、自分自身を大切にしていかないといけないと今は思っています。」
偶像が一人歩きしているみたいで辛いです。勝手に涙が出たり食欲なくすようなショックを感じることは、心が痛みます。でも、それは自分だけじゃ無いというふうに、相手にも必ずどこかで思いを馳せられるくらい、今は、羽生さんも強くなっているとも感じました。
さて、メディアとの接触はまだ続きます。
有働アナウンサーのインタビューも、視聴者が疑問に思いそうなところを質問して羽生選手の本音を引き出すのがとても上手だなと思います。きちんと気持ちを汲み取ってくれる人だと、深い話も話しやすくなりますね。
世界のファンや、交流のあるスケーターが、寄せ書きのように次々と、羽生選手に餞の言葉を発信していることも印象的でした。(引退では無く、転向ですが)
翌日の20日は、JOCと日本スケート連盟で関係者にあいさつに回ったとのこと。
羽生選手は、大切にしてくれる人への恩を忘れない人というのが、ファンから支持されている理由だと思います
これからも、変わらず応援できればと思っています。
「長年にわたり、世界の第一線で戦ってきた羽生の体はボロボロだった。
「最終的に引退の決断に至ったのは北京五輪が終わってからです。帰ってきてしばらくして、足首を治すための期間は痛くて滑れなかった」。
足首の痛みに悩まされ、平昌五輪、北京五輪は痛み止めに頼りながら試合に出場。
フィギュア関係者からは「捻挫しているところは骨折と違って(靱帯が)伸びてしまっている。
言い換えれば、ゴムが伸びるような状態になっている」との証言もあり、限界をゆうに超えていた。」
痛みを感じない日はなかった、とも答えていたので、多分、競技だと様々な制約のために、思うようにいかなかった部分も多かったのではと推測します。今後のためにも、長持ちする体づくりに時間がさけますように。オリンピックレベルになると、酷使していないわけがないので。
トップアスリートへの重圧
スポーツにはルールがあり、競技者はその中で工夫を凝らしてトレーニングを積みます。
そして、その中の最高得点を目指して競技で戦うのがアスリートの醍醐味です。
ISU 世界フィギュアスケート選手権大会 2019で、羽生さんは、テレビのインタビューに、
「負けには負けっていう意味しかないので、はっきり言って、自分にとっては負けは死も同然だと思っている。本当に勝ちたいです」
試合では300点超えという高得点をたたき出していたが、2位という結果に悔しさを滲ませていました。
『オータムクラシックインターナショナル2018』では、優勝したにもかかわらず、演技中のミスを振り返り『めちゃくちゃ悔しいです』と語っていて、この時代は、まず、自分のイメージする最高の状態で勝つことに、闘志を燃やす選手だと感じていました。ただ、このコメントで、賛否両論が湧き起こりました。
に、トップアスリートのSNSによる誹謗中傷問題について取り上げられています。
苦しめているのは、結果を出せない選手へのSNSによるバッシングや、アスリートに“強さ”を求める社会の目線。
山口真一准教授
「本人は悪意がない。自分が正しいと思っているからこそ、やっかい。でも人間の争いって全部そうなんですよ。正義を振りかざすとき、人は最も攻撃的になる。それが今回の分析で改めて分かった」
また、羽生さんとも親交のあるフィギュアスケーター、鈴木明子さんのコメントも見ることができます。羽生さんは、ご自身を大切にするためにも、SNSをしない選択をしているのかもしれないですね。
また、、スケート競技でルールや採点基準がどんどん変わり、さらに全員同じ基準でジャッジされていたのか?という部分では、疑問に思うこともありました。
羽生選手自身も、卒論でこのように提起しています。
現状では、ジャンプの高難易度化が進んでいるからこそ、評価基準がなおざりになっていることを感じる。特にジャンプの離氷時の評価は非常に曖昧で、審判員の裁量に完全に委ねられているように感じる。(略)フィギュアスケートのジャンプについての詳細な動作が記録できれば、目指すべきジャンプやスケートスタイルが見えて、より一層フィギュアスケートが発展するのでは、と期待している。
さらに、このような変更が。
国際スケート連盟(ISU)は2020-2021年シーズン前にルール改正を発表。
4回転ジャンプの基礎点を全体的に下げ、それまで15・00点だったクワッドアクセルの基礎点は12・50点に引き下げられた。4回転ルッツ(11・50点)との差は1点しかない。
(サンスポ記事より)
そして、ルール適用第1号が、羽生さんでした。
連続ジャンプの得点を引き上げることを北京五輪〝後〟の2022-23年シーズンから導入するとのこと。
私の記憶では、この知らせのあたりから、羽生さんの闘志溢れる言葉は、聞かなくなったように思います。
羽生さんを身近でみてきた方や、スケーター、カメラマンなど、現場に近い方ほど、何も言わなくてもわかっていたことなのだろうと思います。
そんな方達の書いた記者会見報道の紙面からは、辛い経験もしてきた羽生さんへの優しい思いやりを感じていました。
清水宏保さんがTV番組で次のように言ってたそう。
「あんな緊張した様子の羽生くんは初めて見た。でもそれを見とった記者たちが、今日の新聞みてくださいよ、ほぼ彼の言葉を全て新聞に書き込んでいる。スポーツ紙というのは選手の1部分を切り取って載せるものなのですよ(普通は)」
これが、長い時間をかけて築いてきた彼と記者やカメラマンさんとのつながりなんですね。 どんな辛い時もインタビューに誠実に答えて、取材陣に感謝の言葉も掛ける。そんな彼を記者の皆さんも見守った年月が、今につながっています。
そして、ここまで活躍する機会を与えてくれた関係者には、羽生さん自身が丁寧に感謝の言葉を綴っています。
発表を終えるまでは、周囲への反応や影響を、夜も眠れないほど心配や不安で緊張して迎えられたとのこと。
でも、その後は、インタビューを繰り返すごとに考えが整理され、安堵感というか、開放された感じが伝わってきて、なんだかほっとしました。
下記は香港スケート連盟での競技会写真。
写真は、撮った時より数十年後、見返すことで、当時よりもずっと価値が上がるように思います。
そこには、そのときの自分が五感で感じた体感、その時感じたけど、今は忘れている感情が蘇る。
原点に戻るきっかけにもなります。
から現れるものだと思います。
「選手というのは、だんだん体力的に衰えて、技術も以前ほどのことができなくなって競技を去っていくというのが普通です。競技生活の最後に、技術的なピークが来る選手というのはいません。でもユヅは若い頃にはプログラムの最初で跳んでいたジャンプを、北京では最後に跳んだ。表現など全ての面で成長してきたと同時に、これだけの技術と体力を保ってきたのはすごいことだと思います」
(文春)
羽生さんの今後
また、安藤美姫さんより、スケーターのプロとアマの違いが解説されていました。
ネット上に多く寄せられる「これまではプロではなかったの?」と疑問の声については、「試合に出るのか、出ないか、ということが大きく違う」とした上で、
「日本スケート連盟に選手登録をしていると、国際スケート連盟にも所属することになり、試合に出る権利が得られる。その登録を解除したときに『プロスケーター』という形になる。
登録を解除してからも、1度だけは再登録をして、試合に出ることができる」と、解説した。
安藤は続けて、「日本のフィギュア界はあやふやな部分があり、現役を『アマチュア』、引退したら『プロスケーター』と呼んでいる。
だけど、イタリアでは現役の選手も『プロスケーター』と呼ばれている」と説明。
JOC(日本オリンピック委員会)企画動画
「フィギュアスケートを始めた頃の自分へのメッセージ」
所属契約 ANA は変わらず。
所属:ANA(2013年7月1日契約締結)
マネジメント: Team Sirius (2013年10月設立の個人事務所、肖像権管理やマネジメントを行う)
ANAも羽生結弦選手のプロアスリート転身にあたってコメント!
「これまでのご活躍に敬意を表するとともに、プロスケーターとして新出発される事は喜ばしいことだと感じています。4回転アクセル挑戦に代表されるように、「努力」「忍耐」「挑戦」は羽生選手の代名詞であると言っても過言ではないと感じており、沢山の人に勇気や感動を与えてきてくださいました。活躍の舞台は変わりますが、プロスケーターとして、引き続き世界中の人々に勇気や活力を与えて下さる事を期待しております。羽生選手の「挑戦する心」をこれからもANAは応援していきます」
羽生結弦 公式Youtubeチャンネル
マネジメント会社Team Serius より、公式Youtubeチャンネルを開設したと発表がありました!(2022.8.7)
下記にリンク共有いたします。
なお、字幕がついている動画は公式ではありません。切り抜き動画なので、その動画をアップしている別人の利益に貢献していることになります。
間違えて登録しないように、ご注意ください。
競技による縛りから離れ、羽生さん自身の目指す、理想の高みに向かって進んでいかれる様子を、楽しみに拝見いたします。応援しております!
羽生結弦 出演映画
Number PLUS「Number特別編集 永久保存版 羽生結弦【特別表紙バージョン 限定版】
羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2021-2022(Ice Jewels特別編集) (羽生結弦SEASON PHOTOBOOK)
羽生結弦『SEIMEI』『バラード第一番』、宇野昌磨『トゥーランドット』『冬』、
宮原知子『SAYURI』、坂本歌織『アメリ』、ネイサン・チェン『ネメシス』、
メドヴェージェワ『アンナカレーニナ』ほかの平昌組から、期待の若手・本田真凜、三原舞依、樋口新葉。レジェンドの浅田真央、高橋大輔、町田樹、荒川静香、プルシェンコまで、全52の名プログラムのすべて。
男子フィギュアスケート界・若き世界王者誕生。
19歳にして世界の頂点に立った天才スケーター《羽生結弦》の、珠玉の演技映像と貴重なオフショットを収録!
[内容解説]
■ソチオリンピックゴールドメダリスト・フィギュアスケーター羽生結弦初のブルーレイ&DVD!
日本男子フィギュアスケート悲願の金メダルを獲得した羽生結弦の、数々の輝かしい実績を残したジュニア時代から、
シニア転向直後2011年の東日本大震災の苦難を乗り越え、努力と進化を繰り返し、世界の頂点に立った彼のの軌跡に迫る!
最後に、会見内容についての表現解説記事、こちらもぜひ。
- 羽生結弦のプロ転向会見に見た圧倒的な人間の幅揺るぎない自負と「つらさや弱さをさらけ出す」強さ (木村 隆志 : コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者)
私も少しスケートを習ったので、基礎がしっかりしているというのが直接目にすることで、より実感できました。
なのに、フェンスを超えそうなほどのジャンプ力を見せてくれました。
兵庫県出身。関西の契約スタジオをメインに撮影を始め、現在撮影歴17年目です。
これまでに150組以上の新郎新婦の撮影、15冊以上のダンス雑誌への掲載、20公演以上のダンス・オーケストラの撮影経験を通じて、表情や動きの瞬間を捉えることに長けています。最近では、竹本祥乃監督の初長編映画「にしきたショパン」のロケ写真を担当しました。
イベント記録写真、プロフィール写真、表現者のイメージ写真、集客用チラシなど、多様な撮影ニーズに対応いたします。お客様のご希望に応じた最高の一枚をお届けします。ご依頼はお早めに右下のChatからどうぞ!