トルコの著名なフォトジャーナリスト、アラ・ギュレル氏(Ara Güler, 1928年8月16日生まれ )が2018年10月17日 90才で心臓発作ため逝去しました。
心臓発作を起こしたギュレルは、フローレンス・ナイチンゲール病院の集中治療室に運び込まれ、再び心臓が動き出したものの、残念ながら息をひきとったそうです。
彼は「イスタンブルの目」「イスタンブールの写真家」というニックネームを持っており、街の風景に加えて、多くの著名人ポートレートを撮影しています。

私も2012年にイスタンブルを初めて訪ねた時、彼の経営するカフェ、「アラ・カフェ」を訪れて、写真集を見せてもらい、コーヒーを飲みながらそれに見入ったことが、鮮明に記憶に残っています。
残念ながら、ご本人とは会えなかったですが・・・
スマホで撮影したara kafe

Ara cafe

入り口前にも、彼の撮った写真があります。
トルコの人の人生の出来事に対する反応は、私の目を通してさえ、とても素直で、フォトジェニックに思えました。
すべてが絵になる感じで、不思議な感覚でした。
その感覚をうまく表した言葉がありますので、2つ、紹介します。


ハサン・シェンユクセル氏による「出版者の覚え書き」(「アラ・ギュレルの古典作品」)
「誰かがアラ・ギュレルに『あなたは芸術家です。』というと、彼は
『いや私はフォト・ジャーナリストです。』という。
これは謙遜だろうか?私は違うと思うのだ。
出版物を活躍の場とする写真家のなかで、アラ・ギュレルを他から分け、特別な写真家とするものは何なのか。
はじめてみた写真に対して『これはアラ・ギュレルの作品だ。』と感じるのならば、何に対してそう感じているのだろうか。
我々がこのように感じるのは、アラ・ギュレルのもつ技のためである。
その技は、被写体の真髄を深く理解した繊細な心で写真を写し出すというものである。」


「ベスト・オブ・アラギュレル」のカタログより、フリツ・グルバーがアラ・ギュレルについて語った言葉。
「実際のところ、アラ・ギュレルは、世界のいたるところで写真をとったが、彼の心はいつも生まれ故郷、ボスフォラス海峡にあるあの夢の都市で脈打っていた。
そして、思うにアラ・ギュレルの作品に感じる力強さと情熱は、故郷に対する想いから来ているのだ。」
「古いイスタンブルの思い出」を目にしたとき、本当にこの都市をアラ・ギュレルほど歴史と関連付け、その変化とともに見せた写真家はいないと思った。
イスタンブルの輝かしく派手な生活といった一過性の写真は彼の作品にない。長く残っていくと思われる人間の特徴を写真にする作家にとって、そのようなものは必要ない。
写真作品を鑑賞する前に、アラ・ギュレルが写真に対して言った言葉を必ず読むとよい。彼のシャッター・ボタンが心と結びついていることを、文頭ですぐに気付くことだろう。
作家が自分の撮ったものを愛していなければ、そのことは写真にすぐ反映される。
アラ・ギュレルの作品が証明していることは、写真というものが撮影技術など写真に関することだけを身につけるだけでは不十分ということだ。彼は、自分の撮影する被写体を知りつくし、そして被写体の能力を知り、さらにはいつもっとも特徴的なボーズを撮影できるかを知っている。我々が目にするアラ・ギュレルの作品には、この技が映し出されているのだ。
アラ・ギュレルの言葉は、若手の写真家はじめ、すべての人に役に立つ言葉である。
アマチュアであっても、どのように写真をとるべきなのか、写真をどのように干渉するべきかをこれらの言葉は我々に教えてくれている。
人に対する愛情をなくしてしまったら、なにも重要なことはなくなってしまう。もっとも重要なことは、人間愛である。
すべてがこれにつながっている。
人間愛が深まれば、写真も上達していくだろう。
なぜなら写真に関するすべてが人間のためだからだだ。
愛情のない人間では写真をとれないし、人間がいなければそもそも写真にはならない。


こちらは個人的な旅の記録。

宿にあった、電気式のトルコの紅茶サーバー。

イスタンブール

バザールで機織りする少年

やっぱり思い入れのある人は、いろいろ記録しておきたい。
続きは、また今度。
アラ・ギュレル氏のサイト
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ポートレート写真家 ユースフ・カーシュ

カメラ任せで、半自動的に撮った写真ではなく、自分の思いを写真に込めたい人へ。

写真は、言葉と同じく、インプットしてそのイメージを自分の体を通してアウトプットする。

その繰り返しで、どんどん本質に近づき、人間の感情の機微に迫れるのではないか。

そのためには、良い写真をどんどん、脳にインプットしよう。

そんな思いで、フォトグラファーを紹介するシリーズ。