今、私はブログでも自分を表現しようとしていますが、知り合った人からも、様々なことを学ぶことが多くあります。
でも、日々は矢のように流れていってしまい、人は忘却の彼方に置いてきぼりにすることもある。
だから、自分なりに、時々、こうしてハッと気づいたことを書き留めて置こうと思います。
私が生まれる前にも、ずっと繰り返された生の営みで積み重ねられた知恵は、今なお、残り続けていること。そこに普遍性があると感じています。

私は、世界のひとかけら であること

[ 朝の満員電車、無理にでも入る人たちを見て、
「きっと僕が日本を知らない外国人旅行者なら、写真や動画を撮って、地元の友達にSNSを通して見せたり、『日本ってこういう国だよ』と伝えたりしたんじゃないかなあ」
と、ふと思った。
でも、「日本中どこでもあること」ではないし、「それが日本である」と伝えられるのも、ちょっと違和感がある。
僕が、海外で見聞きしたこと、体験したことも、こんな風に伝えたりしていないかな、とも思う。
平和な頃のシリアにいたとき、
すごく年代物の車が現役でバスとして走っていて、それがあまりに格好よくて写真に撮った。
僕の撮った写真を見て、塾を経営するシリア人の友達が「こんな写真を撮ったら、シリアが途上国みたいじゃないか」と嘆いた。
「キレイなビルとか新しい車とか、もっとそういうのを撮ってくれよ」と。
人は、「違い」に目がいく。
「いつもと同じ」は目に入らない。]
伝えるには何をどう伝えるかに加えて、
「思いを馳せ、伝える時に、優しい想いの源泉から出ているかどうか」
の検証が必要であること。
このことを気づかせてくれたのは、Piece of Syria 代表の中野貴之さん。ずっと国際協力の最前線で現場に関わって来た人です。
ビジネスとして、「想いを馳せないからこその、「強い表現」の方が早く強く広まってしまう」面は、あると思います。でも最近の流れでは、時間がたつほどに、「それ、ほんまか?」と見抜ける人も多くいます。
伝えたい想いと、実際に相手に伝わっていることの差は、
すごく意識してないとうまくいかないということ。
そして、自分の見たこと、知ったことはほんの一部の事実。事実だけど、一部。
自覚すればするほど、伝えることに不安になります。。。
でも、だから伝えないってことも違う、、、
自分の経験を共有することの大切さと難しさは、そこなんだというのは知ってほしいな。

当時準備中だったクラウドファンディング

紛争下のシリアの子供たちに、希望と夢が詰まった教育を届けたい!

も立ちあげ、2016年10月31日、見事、100万円を達成!!
シリア人の支援団体に無事、資金を支援することができました。
私も、少しでも状況を知ってもらう場を広げるのに協力したいと思い、知り合いだった箕面国際交流協会をご縁繋ぎし、そこでの写真展も実現しました。
(2016年12/4~11にコムカフェで開催した写真展「シリアの過去と今と」)
その後、へむりさんは、日本では報道されない現地の声を聞きに欧米各地の関係者たちを訪問し、インタビューを行いました。
その報告会が、2月4日、大阪で開催されました。
下が、報告会での写真です。
若い方も多く、立ち見がでるほどの大盛況でした。

シリア=戦争=重い?

それって、どうして?
ニュースなどのメディアがそう言ってるからかもしれません。
でも、今回の報告会で感じたのは、シリアって行ってみたくなるような魅力的な国だな、ということ。
平和だった頃のシリアは、日本よりずっと住みやすかったと中野さんは言います。
就学率97%。大学まで無料の教育制度。治安が良く、深夜でも一人で街を歩ける。イスラム教徒と言えばシーア派だのスンニ派などの対立をイメージさせられるのに、シリアではそのくらいの差、別に気にしない、隣に座っている友達が何派かなんて別に知らなくていいという感覚の人が大多数。
無知は偏見を呼ぶ。
イメージだけで物事を語ることの弊害は世界中で起こっています。
本当に、あなたが学校や教科書から学んだことは、本当に正しい知識でしょうか。
テレビで言ってたから、ニュースで言ってたから、と、
感情論的に心が動かされるものを信じるのでなく、
これってほんと?確かめてみないとわからないよね、
そういうスタンスが大事。
「信じるな、疑うな、確かめろ!」
でも、その見え方は、一つではない。シリアでいかに、刻々と事態が動いているか、利害関係がわかる一覧を創ってくれたのを見ただけでも、味方が敵になったり、味方の先が敵同士だったり、単純に善悪に分けられない。行ってみないと、踏み込んでみないと分からないことだらけ。
そんな複雑な事情も分かりやすく話して下さいました。
シリアに小学校を再建する運動を応援している活動をしているシリア人が
「私は未来の世代を失いたくない」
という言葉がとても印象に残りました。これからの未来を担う力になるのが教育だから。。。
大人が楽しいことしていれば、子供もそんな大人になりたいと思えるはず。夢を応援すると、きっと希望は、また輝く。
言葉だけでは、なんとでも言える。でも、行動やあり方は、嘘がつけない
と聞いたことがあります。
だから、そのあり方に感銘を受けた方が、こんなに集まったんだな。
あくまでも、これは、一つの見え方であって、すべてではない、とご本人も強調されていました。
まずは、知ることから。
これからも、発信は続けられるそうなので、ぜひ、サイトをチェックしてみてくださいませ。

Piece of Syria 「夢をかなえる学校を創りたい」

へむりさんも読んだそうです。
「どうせ無理」は、危険な言葉。
それよりも、「こうしたら?」という一言の方が、ずっと、元気になれる。

エスニックといえば、辛いもの、と思っていても、実際、トルコ料理はヨーグルトや野菜もふんだんに使いますし、西洋料理の源泉になる料理もたくさんあります。
人ごとだと、途端にステレオタイプで観てしまっていないか。違う土地の話が混ざって伝わってしまうこともあるかもしれない、情報以外にも伝えられていない情報があるかもしれない、立場によっても体験することは異なる。

「実際には行かないで「誰かに伝えられる世界」だけを見ていると、
肝心なものが目に入らない世界を「現実」としてとらえるかもしれない。
だから、僕はシリアで起こった危機を、
自分の目で見る旅に出た。
そこには、ジャーナリストの目に写っていなかった「世界」が、確かにあった。
でも、きっと、それもまた、
何かを見逃した「一つの世界のカケラ」なのだ。」

健康な人間の生き方としての9つの目標

アルバート・エリスによる『健康な人間の生き方としての9つの目標』
Ⅰ.自己の利害(Self-interest)について率直であり、モラル・マゾヒズムに陥らないこと
人生のテーマが何になりたいのか、ではなく、何をしたいのか、であり、それを実現しようとする。
自分自身の利害にさとく、しかし、そのことに後ろめたさを感じることなく、我が道を歩んでいく。他人の反応に一喜一憂することはなく、実に堂々としている。
Ⅱ.自律(Self-direction)的であり、他人をあてにしない
自分の未来を方向付けるのは、自分自身である。決断を先送りせず、自他の責任を明らかにする。甘えを排する。
Ⅲ.寛容(Tolerance)であり、他の人が過ちを犯す権利を認めている
不寛容な人のように、正義の立場を口実にして、実は自分の嫉妬心を正当化するようなことがない。
Ⅳ.曖昧な状態に耐える(Acceptance of uncertainty)
  強迫的に思い込まない
すぐに短絡的な安直な答えを出そうとはしない。わからないことはわからない、とする。
目の前の現実は、無限の多様性の混沌(Chaos)である。現実世界は、自分なりに再構成した虚構(Fiction)であるということを自覚していることが大切である。
Ⅴ.柔軟性(Flexibility)があり、偏見なくものごとの変化を見極める
心の新鮮さを失わない。
毎日の繰り返しの中に、新しい発見ができる。そして新しい知見にも対応できる。
新鮮な気持ちは失いやすく、偏見に基づいて判断してしまいやすいので、自戒とする。
Ⅵ.現実に即した科学的思考(Scientific thinking)ができる
自分に都合の悪いことから目をそらさず、自分を正当化できるような相手・情報だけに身をすり寄せないこと。冷静に客観的にものごとをみて判断できるようにする。
Ⅶ.熱意が枯れない(Commitment)
人を信頼することができる。
なにかの可能性に夢中になれること。相手をあやつろうとして嘘をついたり、すぐにあきらめ、しらけた態度をとらない。
Ⅷ.果断である(Risk taking)
果敢にRisk Takingができる。
失意のうちにあっても、自分の失ったものと、代償に得ることができたものの数を数えることができる。
逆境にあっても、その逆境に耐えている自分の矜持を讃えることができる。勇気と希望を失うことがない。
Ⅸ.自己受容(Self-acceptance)
あるがままの実寸大の自分を受け容れている
現実の自分を受け容れている。自分の強みも、そして弱みも自覚している。それでいて自己評価は高い。自己嫌悪には陥らず、あるがままの原寸大の自分を受け容れている。
自分の身の丈を心得ているため、人前で虚勢を張ることはなく、身の程知らずの夢を追うこともない。