機械式カメラ

改めて、フィルムカメラを振り返ってみました

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機械式カメラの歴史

1841年、イギリスのウイリアム・タルボットが「ネガポジ法(カロタイプ)」を発明し、この技術が今のフィルムカメラに使われています。

しかし、この時代の感光材料は光を感じる物質をガラス板にぬったもので、サイズも大きく、取りあつかいや持ち歩きがとても大変でした。

1851年には、イギリス人のフレデリック・スコット・アーチャーが「湿板(しつばん)」を発明。ガラス板の上に感光材料をぬることで鮮明(せんめい)な写真を写すことができました。

ペリーヌ物語で、お母さんが使っていましたね!

1925年、ドイツのオスカー・バルナックによる小型カメラの開発により、小型化が実現しました。

バルナックは、当時映画用に使われていた長いロールフィルムを1.7mに切断し、小型の入れ物(パトローネといいます)に入れて使うことで、かばんやポケットに入るサイズの高性能カメラを考えました。これが1925年、エルンスト・ライツ社から発表された「ライカA型」で、その後のフィルム式カメラの基本となりました。

現在でももっとも多く使われている35mm幅(はば)のフィルムはこのとき誕生した規格です。

バルナックの発想は、精密なレンズとカメラで小さなネガをつくり、それを引きのばして大きなプリントを得るというもので、この考え方も現代のフィルム式カメラに受けつがれています。

1950年に、世界初のペンタプリズム式一眼レフカメラ(コンタックスS)が発表され、その後、急速に普及しました。

当時は「ライカM3」全盛の頃であると同時にドイツのカメラが全盛期。

ですが、そこに、1959年、ニコン(旧社名「日本光学」戦前「帝国海軍」の光学系製品を製造していた)の「F」で頂点を極めました。

ここまでのカメラは「機械式カメラ」とも呼ばれ、スプリングなどで構成された「アナログ」な機構を持っていました。

機械式カメラのいろいろ

ASAHI Pentax SP

1964年フォトキナで発表。旭光学(ペンタックス)製 35mm一眼レフカメラ。

「安価でTTL測光が標準装備され、小型軽量である」上に、「プラクティカマウントである」という理由から世界的に熱い視線を浴びました。

クラシックなカメラとモダンなカメラの中間にあるカメラの位置付けで、全世界で400万台以上を売り上げたというベストセラー機。

安価な機種ながら、絞り込み測光のTTL露出計を内蔵することで、露出計内蔵一眼レフが、一挙に一般的な存在となるきっかけとなりました。

全体的にスタンダードな操作系となっているため、初心者でも扱いやすいです。

SPをはじめとするPENTAXの一眼レフは、全世界的に普及したことでM42マウント規格のデファクトスタンダードとなっていきました。

このカメラを買い求めた音楽アーティスト

PENTAX SPは、あまりの人気に一時は世界的に品薄にもなったそうです。

下は、PENTAX SPを持ったポール・マッカートニー

  • 機種名
  • レンズマウント
  • 対応レンズ
  • ファインダー
  • 電池
  • 露出計
  • シャッター
  • PENTAX SP (35mm一眼レフカメラ)
  • M42スクリューマウント
  • 各種M42マウントレンズ
    開放測光対応のフジノン等特殊なレンズも使用可
  • 視野率約93%
    倍率約0.88倍
  • MR-9水銀電池
  • TTL絞り込み平均測光
  • B、1秒〜1/1000秒
    横走布幕フォーカルプレーンシャッター

1966年に来日公演したヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルハーモニー御一行様が、東京公演を跳ねてから、脇目もくれずに免税店へ直行し、全員揃いも揃って、アサヒ・ペンタックスSPを爆買いしたというエピソードは余りにも有名です。

彼らはボディーだけを買い求め、レンズはプラクティカ規格のドイツ製レンズを装着して愛用したといわれています。

SP用の電池

SPに使われている電池は HB という種類の電池でしたが現在もう発売されていません。

ペンタックスからは代替用のLR41という電池を使えるようにしたアダプターを売り出したのですが、これもすでに在庫なしの状態になリました。そこで長谷川工作所が、このアダプターを独自に作り発売しています。

Olympus OM-1

1972年7月発売

発売当初、OM-1はM-1という名称が、製品のインパクトが大きかったため、ライカ社から製品名変更の申し入れがあり、1973年よりOM-1に改められました。

世界最小最軽量の35mm一眼レフ(1972年当時)として多くの脚光を浴びました。当時の一眼レフカメラのなかでは幅も、高さももっとも小さかっただけでなく、その後のフィルム一眼レフや、現代のデジタル一眼レフと比べても、もっとも小型の部類に入ります。

初めて中古フィルム一眼レフカメラを使う人でも、違和感なく使うことができる操作体系は、名技術者・米谷美久(まいたに よしひさ、1933-2009)が生み出したもの。Mという名称は、米谷氏のイニシャルに由来しています。

オリンパスが生み出した、オリンパス・ペンやXAといった名機も手がけた、世界を代表するカメラ技術者です。

OM-1のほかにも、オリンパス ペンシリーズやオリンパスXAといったかずかずの名機を生み出しています。

日本製一眼レフ名機中の名機と言われています。

  • 機種名
  • レンズマウント
  • ファインダー
  • 電池
  • 露出計
  • シャッター
  • 発売年
  • OLYMPUS OM-1 (35mm一眼レフカメラ)
  • オリンパスOMマウント
  • 視野率約97%
    倍率0.92倍
  • MR-9水銀電池
  • TTL中央重点平均測光
  • B、1秒〜1/1000秒
    機械式 横走り布幕フォーカルプレーンシャッター
  • 1972年(M-1):コレクターズアイテムとしての色が強い
    1973年(OM-1):底蓋にモータードライブ用の穴がない
    1974年(OM-1MD):ボディ正面左上に「MD」のマークが付いていることと、ボディ下のモータードライブ取付部に蓋がある
    1979年(OM-1N):ボディ上面の刻印にNが追加

Canon AE-1

1976年4月、後に世界規模で大ヒットしたAE-1が発売。

5大ユニットと25の小ユニットに分け、それをマイクロコンピュータが中央集中制御する方式を採用。

電子化により部 品点数を従来機種より300点も減らした。また、生産にも自動化を大幅に取り入れ、高機能、低価格を実現しました。

「連写一眼」のキャッチフレーズで一世を風靡。

多くのユーザーに親しまれたことで、発売から約1年半後の1977年10月には累計生産台数100万台を突破。

2021年9月15日、独立行政法人国立科学博物館の「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」に登録されています。

大量生産・低価格・高性能・CPU搭載と、様々なカメラ史を塗り替えた、伝説の名機AE-1

現代のカメラの元となった機構が多く、オールドカメラであるにも関わらず、一眼レフ初心者にも使いやすいカメラです。

  • 機種名
  • レンズマウント
  • ファインダー
  • 電池
  • 露出計
  • シャッター
  • フラッシュシンクロ
  • 発売年
  • Canon AE-1 (35mm一眼レフカメラ)
  • FDマウント
  • ペンタ固定アイレベル式、倍率0.86倍、視野率=上下93.5%、左右96%
  • 6Vの4G-13型酸化銀電池。又は4LR44アルカリマンガン電池1個
  • TTL開放測光
    シャッタースピード優先式AE/TTL絞り込み定点合致式
    マニュアル測光、
    測光感度分布特性は中央部重点平均測光
  • 4軸式の布幕横走行フォーカルプレーン
    1/1000、1/500、1/250、1/125、1/60、1/30、1/15、1/8、1/4、1/2、1、2秒、B、X、
    全速電子制御式、セルフタイマー内蔵(LED点滅作動表示)
  • X接点、ドイツ型ソケットおよびホットシュー式
  • AE-1 (1976年8月)
    AE-1 PROGRAM (1981年)